パルクールとフリーランニングの違いは何?歴史から考える

こんにちは。ゆーろう(@yf_parkour)です。

最近はテレビやインターネットで「パルクール」という単語がとても有名になってきました。世界的な大会も徐々に増えてきて、アジアカップもシンガポールで開かれるそうです。

そんな「パルクール」という名前ですが、外国の地域によってはパルクールのことをフリーランニングと呼んでいる人たちがいるのをご存知でしたか?

一般的な解釈では、パルクールはフランス語、フリーランニングは英語と考えられています。僕も2つの違いを質問されたときは「同じものです。フランス語と英語の違いです」と答えています。

しかし、パルクールの歴史を紐解いてくいと、それらは別物と考えられた時期もありますし、現代でも観点によっては2つは違うものと言えます。

今回の記事では、なぜ「パルクール」と「フリーランニング」という2つの言葉が生まれたのかを、世界の歴史を辿っていきながら紹介していきたいと思います。

パルクールの歴史

まずパルクールの発祥から書きたいのですが、これが難しい。よくある説明ではフランス軍の訓練である「methode naturelle」や「parcours du combattant」から始まります。さらに、これらを学んでいたレイモンド・ベルとその息子でありパルクール創始者で知られるダヴィット・ベルにつながっていきます。

ただ、パルクールを含む一連のカルチャーはダヴィット・ベルが一人で作ったものではありません。

80年代、フランスパリ郊外Lisses。少年時代のダヴィット・ベルはそこに住んでました。彼は友達や従兄弟たちとトレーニングを始めました。Lissesは自然が豊かな場所だったので、周囲の環境を利用しながら身体を動かすにはピッタリだったのです。

だんだんとジャンプの距離や高さが上がり、町の見え方が変わっていきます。同時に動きだけでなく、精神的・哲学的な部分も深めていきました。肉体をどうやって鍛えるか、仲間と共にいかに強くなるか、そういったことを切磋琢磨しながら作り上げていきました。

そして、彼らは90年代中頃に自分たちの活動をL’art du déplacement(以下ADD)と名付け、自分たちの集団をYamakasi(ヤマカシ)と名付けました。

補足)このADDという言葉に馴染みのない方が多いと思います。英訳するとThe art of movementとなります。僕はフランスでヤマカシたちにADDのコーチングを受けた経験があります。基本的にはパルクールと同じです。個人的な感想ですが、武道の修行のような部分とストリートカルチャーが合わさった印象を受けました。こういう動きをすればADDといよりも、概念やコンセプトといった感じです。

やがてYamakasiたちの活動が世間に知られるようになります。彼らはいくつかのパフォーマンスの仕事をこなします。そんな中でダヴィット・ベルとセバスチャン・フォーカンはYamakasiとADDから距離を置くようになりました。考え方や方向性の不一致が原因だと言われています。

ダヴィットは父親のレイモンドから学んだことをベースにして、自らの運動方法をParkour(パルクール)と名付けます。そして、traceurというチームを作ります。現在、パルクールをしている人をトレーサーと呼ぶのはここからきています。このチーム自体はもうすでに解散しています。


speedairman。parkourという言葉のキッカケになった動画。


当時のニュース。ダヴィット・ベルとyamakasiの活動をそれぞれに取材している。


traceurのパフォーマンス。

2003年にBBC(イギリス公共放送)で「JumpLondon」が放送されます。パルクールを題材としたドキュメンタリーです。セバスチャン・フォーカンとその仲間たちがロンドンの有名スポットを飛び回りました。番組中に英語圏に分かりやすくするためにFreerunning(フリーランニング)という言葉で紹介されます。

このことからパルクールがフランス語、フリーランニングは英語というのが分かっていただけると思います。

ただ、これは推測なのですがこの時期セバスチャンは新しいスタイルを模索していたと思います。実は彼はダヴィット・ベルの元を離れて、新しいチームを作っていました。また「JumpLondon」にダヴィットは出演していません。

セバスチャンは自分のスタイルはブルース・リーが作った武術のJeet Kune Do(以下JKD)に影響を受けていると語っています。彼はJKDを色々な武術や格闘技のエッセンスを一つにしたものと捉えていました。なのでフリーランニングは自由に様々なムーブを取り入れるというスタイルとなったのです。

「JumpLondon」放送以降、パルクールはインターネットを通じて世界中に広まっていきました。そのスピードがあまりにも早かったので混乱や誤解が生まれます。ダヴィット・ベルはメディアの取材の中で「フリップはパルクールじゃない」というようなことを言っています。移動の効率を妨げるからというのがよく言われることですが、「見せびらかすためのものじゃない」や「ADDとの差別化」といったニュアンスがあったかもしれません。

ただ、こういう細かいところや歴史的な経緯は伝わりませんでした。このときトレーサーが触れていた情報の多くはメディアが取材した二次情報ばかり。創始者たちが自分たちの言葉で直接語ることやそれを聞く場所というのはほとんどありません。結果的にネット上の議論だけが先行してしまい、パルクールとフリーランニングは分けて考えようという認識が生まれます。

2000年代中頃から後半にかけて、イギリスでパルクールの公的な組織や指導者資格が作られます。そこにおいてトレーサー自身がYamakasiやtraceurのメンバーに話を聞き、ADD・パルクール・フリーランニングの一連の流れが知られるようになったのです。そして、これらを一つのものとして見ていこうという考え方が出てきました。しかし、そのときにはすでにパルクールとフリーランニングは別物であるという認識が出来上がっていて、現在のややこしい状態へとつながってきます。

まとめ

ADD、パルクール、フリーランニングはフランスパリ郊外のとあるコミニュティから生まれたカルチャーです。個々を見れば違った部分はありますが、ルーツは同じなのです。大事なのはいかに実践するかなので、同じものという認識が一般的になっています。

これからパルクールを取り巻く環境はどんどん変わっていきます。いまの世の中はアヤフヤな情報やいい加減な憶測が目に入りやすい時代です。そうした中で原点を知っておくことはとても大事なことではないでしょうか。

参考資料
https://www.youtube.com/watch?v=82cjq9I1RuY
http://parkourgenerations.com/parkour-history/
https://parkour.jp/about-parkour/